よさこい東海道、2008年11月8日・9日

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よさこい東海道とは
よさこい東海道の様子

近年、全国的な拡がりをみせる「よさこい踊り」は、昭和29年8月に「よさこい祭り」として 高知県で始まりました。 以来、毎年8月9日から12日までの4日間、高知市内10ヶ所の 競演場で150チーム、約16,000人の踊り子がチームごとに独自の振り付け、 華やかな装飾を施した地方車を先頭に舞い踊ります。

この祭りは、戦後の荒廃した全国的な不況の中、商店街の振興を促すと共に顧客への日頃の感謝の 気持ちを込めて高知商工会議所が中心となって発足しました。 この祭りの基本的なルールはいたって簡単で「手に鳴子を持つこと」「音楽には”よさこい鳴子踊り”を取り入れること」の2点だけ。 時代の流れと共に細かなルールも加えられてきましたが、いつでもこの2点が基本のルールである 事に変わりはありません。

現在では、参加者が16,000人を越えるよさこい祭りも、第1回の参加者は750人、 参加団体は21チームでした。 それから毎年膨らみ続け絶えず新しいものを取り入れながら、 チームの個性化も進み髪型や衣装も華美になってきました。 振り付けもジャズダンス調、ヒップホップ調、 日本舞踊調と様々に工夫を凝らし、音楽もロックやジャズのバンド演奏も増えてきました。 いつでも時代の世相を反映し見る者の興味を尽きさせない祭りです。

よさこい祭りは、日本の文化と伝統において比較的歴史が浅いように思われがちですが、古来から の日本の踊る祭りのスタイルを時代を超えて引き継いでいるとも言えます。室町時代から江戸時代 に掛けて「風流」や「伊勢踊り」、「ええじゃないか」など踊る風潮がたびたび全国的な規模で 流行しています。 沼津市では大瀬崎の「いさみ踊り」が当時のええじゃないかを現在に伝えて いると言います。 また、静岡市では安土桃山時代にすで既存の祭りとなっていた現在の「静岡祭り」 に発展する原型の祭りが、徳川家康の駿府城築城の頃、風流の流行に影響されて華美になり、 連(チーム)ごとにきらびやかな衣装に身を包み、踊りを競いあったことが記録されています。 その祭りのスタイルは今の「よさこい祭り」そのものではないでしょうか。

現在、全国100ヶ所以上で開催されているよさこい踊りの中でも、例年6月、札幌市内で開催される 「YOSAKOIソーランまつり」は、全国によさこい踊りが拡がるきっかけを作った事で知られて います。 11年前に北海道の大学に通う一人の若者が、高知県で見たよさこい祭りに感動し、それを道内の 人たちにも伝えたい想いから仲間に呼びかけて運営組織を作り、10チーム、1000人の参加者で 第1回を開催しました 。それから回を重ねるごとに盛り上がりを見せ、昨年開催された第10回では 408チーム、41000人が参加する大規模なものとなりました。それに併せて経済効果でも 大変な成功をおさめ、全国の行政、経済団体などからも注目される事となり、飛び火するように 全国に拡がっていきました。

沼津市でのよさこい踊りに対する取り組みは、平成9年に沼津市内の商店街が寄り集まって祭りを 企画し、第1回は「沼津ワールドダンスフェスタ」として始まりました。 当初の企画は世界中のダンスを観客に見ていただく趣旨のものでしたが、 ダンスを見るだけではつまらない、街中の人たちが一緒になって 踊れなくては意味がないと考え、運営メンバーがそれぞれに全国の祭りをリサーチしました。 その後日、リサーチして寄せられた情報の中にYOSAKOIソーランまつりがあり、 その資料を集める中で発祥は高知県である事を知ります。 時期はちょうど夏、よさこい祭り開催の 直前でした。

その時、運営委員長の原田は計画していた家族旅行を取り止め、単身、高知に乗り込みます。 そして、目の前で繰り広げられる躍動感あふれる踊り、強烈なリズムと地響きを立てる迫力の 音楽、色とりどりの衣装で沸き立つ街並みに、ただただ驚嘆し奮い上がってくる感動は全身に 鳥肌を立せたと言います。「沼津でもよさこいをやりたい」。気持ちは、はっきりと決まりました。 しかし、その想いとは裏腹に事前に取り寄せた資料に掲載されていた祭り関係者のもとを訪ねて みても、忙しいさなかで取りあってもらえず、行く宛もないまま高知の街をさまよっていました。

今の「よさこい東海道(よさこい沼津まつり)」は、その時の偶然の重なりにより大きな結果が 得られたと思われます。 高知の街をさまよう原田は、暑さにのどが渇きジュースを買います。その時の売り子が、 初期のよさこい沼津まつりで、例年演舞を見せる事になる「東京土佐寮」の世話役の弟でした。 祭りが終わった夜、行く宛のない原田は世話役の家を訪ねます。打ち上げの真っ最中でした。 おおぜいの学生やOBが酒を飲み、たわいもなく騒いでいました。そして、しばらくして交わされ 始めた短い挨拶。「またな…」「おお、元気でな」一人また一人といなくなっていくけれど、 みんないい顔をしていたそうです。夏の4日間だけ、懐かしい顔を揃えて一緒に踊り、 祭りの終わりと共にまたそれぞれの日常に戻っていく。 原田は、その時に祭りの原点を感じとったと言います。

翌日、沼津へ帰る日の事、祭り期間中に訪ねたが忙しいさなかで取りあってももらえなかった 祭り関係者に、何気なく立ち寄った喫茶店で偶然に出会います。思いの丈を吐き出すと互いに話が 弾むようになります。後に「よさこい沼津まつり」の司会進行でお馴染みになる高知の名物男、 岩目一郎氏との出会いでした。岩目氏にはその後、よさこい沼津まつりの発足に多大な尽力をいただきます。

沼津に戻ってからの原田は、会う人ごとに「よさこい」の説明を繰り返していました。 11月の開催日まであと2ヶ月。沼津ではよさこいという言葉すら知らない人ばかりです。 「鳴子」がどんなものなのかを説明し、チームづくりに奔走する毎日が続きます。 原田の弛まぬ努力、それを支える自らの熱意は、人から人へ伝播して次第に人数を増やしながら 祭りの姿を作っていきました。

祭りの当日、街は熱気に包まれていました。演舞場の一つとなった仲見世商店街には観客がひしめき 人並みの間をすり抜ける事も出来なくなっていました。踊りを見ようにも幾重にも重なる観客に、 後から来た者はベンチや木箱によじ登って覗き込むようにしてやっと見える状態です。 他の演舞場も同じような状態で街中を拍手と歓声が包んでいました。 祭りの終わりに狩野川階段堤で行われたフィナーレでは、原田は、自分がどうあいさつしたのか よく覚えていないと言います。その時、原田も仲間達も静かに泣いていました。

よさこい沼津まつりも毎年回を重ね、昨年の11月には第5回が開催されました。 毎年恒例となった狩野川河川敷のフィナーレも昨年の第5回では人に埋め尽くされ身動きが とれないほどでした。 沼津市内や近隣の市町からチームが集まって始まった第1回から比較すると、北海道や大阪、 中国地方からも参加者のあった昨年の第5回では大きく発展したと言えると思います。 また県外の参加者には沼津市民の心の優しさ温かさが大変に喜ばれ次回も必ず参加したいと言います。 昨年の第5回に参加した宮城県と北海道の大学生は、また今年も参加するために旅費を毎月 積み立てていると聞いています。 人と人の心のふれあいを地肌で感じとる事ができる祭り、それが「よさこい」だと思います。

原田が口癖のようにたびたび私たちに聞かせる言葉です。  「沼津は東京に近いし、いつでも帰れるからってみんな夏祭りの日も帰らねえんだけど。 人が帰りたくなる街、集まる街にしたいんだよ。よさこい やりながらさ。」

                       寄稿 平成14年3月  駿河屋市辺衛